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◆田舎で育つ
実家は 町外れですぐ裏が山。周りは田畑に囲まれていました。
もちろん 私が育った家は兼業農家、といっても農業の割合が多い、大変な家でした。
農家ですから、季節には旬の野菜が山ほど、食卓に上がり、
季節に応じた食生活をしてきました。
◆あるシェフとの出会い
大学生になり外食が多くなった頃季節感のない食生活に疑問を持ちはじめ
飲食店でのアルバイトを始めました。そこで出会ったのが某ホテルのシェフ。
シェフはとても楽しそうに、まかないをつくり、料理も作っていた。
その姿をみて「いい仕事だな〜」と思ったことがきっかけでした。
◆シェフへの第一歩
大学卒業後、プラスティックの会社に入社しました。
しかし、やりがい、男として生き方を見出せず自問自答を繰り返し
「自分自身が、最大限表現できるものは、何か考えたとき、料理人しか考え付かなかった。
この思いに 自信があり、全く迷いもなかったので12月には飲食店の厨房に立っていました。
一番最初の飲食店は非常に忙しいビストロ。
ここではフォンなど、すべて1から学ぶことができ今の基本が身についた。
その後、フランス料理というものに疑問を持つようになり、自分が小さい頃から食べてきたものを
シンプルにおいしいと生かす料理が作りたいとイタリアンの世界へ踏み出した。
そのとき25歳。
こうして、イタリアンで働くことになるのだが、店を仕切っているマネージャーは
有名中華料理出身、店長は和食出身、創作イタリアンの店でなんだか楽しかった。
ここで修行を重ねるうちに イタリアへ行き本物を学びたいと決意。
◆イタリア料理留学
もちろん 料理でイタリアに行く手立てはありません。
たまたま、専門料理という本の後ろに、イタリア料理留学の文字が!
すぐ電話し、東京赤坂で面接。
しかし「君を連れて行くことができない」と簡単ではなかった。
けど、あきらめず、1年ほど前から、自分の家の広い畑で育てているハーブたちの
観察日記をもっていき、それが認められイタリア行きを決めた。
(実際は非常に困難があり、決まった)
留学費用は150万円。当時、働いてはいたものの、貯金は10万円もなかった。
今の仕事に深夜のアルバイトも加え朝10時から夜22時までイタリア創作料理の店で
すぐに移動し24時から6時までスナックの厨房で働く。休みは週1日。根性で働いた。
絶対イタリアへ行くと決めたのが、5月11日
面接しようやくイタリア行きが決まったのが12月23日
イタリア出発が翌年3月5日。一言、よくやったと思う。
そして、念願のイタリア。
想像以上素晴らしいものばかりだった。
日々必死に学び本場イタリア料理の基礎部分を自分のものにした。
イタリア料理は気持まで温かくなるおいしい料理。
自分がたくさんの人に伝えようと心に決めた。
教えてくれた多くの人の心に感謝を込めて。
◆ミオオルト誕生
帰国後9ヶ月間雇われシェフをしたのち、自分の店を持つことになった。
当初から、店は忙しくなる。外装、外装環境はあまりいいものではなかったが
なんだ!これ!という味を提供し、なぜか、忙しい店となる。
お店を持つことにより、その中で、お客様に育ててもらい、確実にレベルを上げた。
また、毎年、1週間から2週間、イタリア各地に行き、生産者と会い、
リストランテ、トラットリアで勉強させてもらい、知識、技術を向上させています。
まだまだ、納得していない自分がいて、もっと、お客様の脳を刺激するような
料理を提供できるようになりたいと思っています。
お客様の1人1人のお気持ち、期待が私を大きくしてくれます。
今後もよろしくお願いします
ミオオルト オーナーシェフ 武藤建二
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